鷲ノ巣

C# とか PowerShell とか。当ブログの記事は(特に公開直後は)頻繁に改定される場合があることをご了承ください。

暦に関するウソ/ホント

# たまには、PowerShell ネタ以外も、いいよね…?

Octopus。タコのことです。脚が8本。
October。10月のことです。
どうして、数字が違うんでしょうか? という話題です。

※3年ほど前に mixi 日記に書いた記事を再構成しております。

月の英語名の由来

まず、それぞれの月の英語名の由来を一覧にしてみました。
中学校の英語の復習をしておきましょう。

英語名 由来 日数
1月 January ローマ神話の門や入り口の神「ヤヌス」から 31日
2月 February ローマ神話の慰霊の神「フェブルウス」から 28日
3月 March ローマ神話軍神マルス」から 31日
4月 April ギリシャ神話の愛と春の神「アフロディーテ」から 30日
5月 May ローマ神話の豊穣神「マイア」から 31日
6月 June ローマ神話の女性の結婚の守護神「ジュノー(ユノ)」から 30日
7月 July 古代ローマの政治家「ジュリアス・シーザーユリウス・カエサル)」から 31日
8月 August 古代ローマの初代皇帝「アウグストゥス」から 31日
9月 September ラテン語で7を意味する「Sept」から 30日
10月 October ラテン語で8を意味する「Octo」から 31日
11月 November ラテン語で9を意味する「Novem」から 30日
12月 December ラテン語で10を意味する「Decem」から 31日
合計 365日

9月~12月が、その名前の由来と2か月ずれているんです。
これは何故か。

2つの間違い

先日、とあるテレビ番組で採り上げていました。
今やいくつもの番組に引っ張りだこの林修先生。予備校講師より芸能活動が忙しいんじゃないでしょうか。お身体を壊されないか心配ですね。
最近は専門の現代文以外にも、教養番組やクイズ番組ならジャンルを問わず出演されています。池上彰さんに成り代わりつつあるように思います。一度対決して欲しいですね。

その番組は、視聴者投稿の雑学で、林先生に「知らなかった」と言わせようという趣旨のものでしたが、林先生はご存じだったようです。
「授業での持ちネタの一つなので、全国放送されたことでネタを一つ潰されて痛い」とおっしゃってました。

先生、そこは、「それは間違いです」と指摘して欲しかった。

前述したように、7月と8月の月名はローマの有名人の名前に由来します。
7月がJulyになったのは、カエサルの誕生日が7月だからだと言われます。
カエサルユリウス暦という暦を作った人物でもあり、これは紀元前から16世紀まで、1600年以上に渡って使い続けられた、偉大な暦でした(現代の暦はグレゴリオ暦といいます)。
ちなみにAugustの由来である皇帝アウグストゥスは、カエサルの養子にあたります。

番組では、「月名が2か月ずれているのは、カエサル親子のせい」というようなことを言っていたと思います。
録画していませんので、正確なところは確認できないのですが、冒頭でタコの映像が流れていましたので、2か月ズレの話題なのは確かです。
つまり、「7月に自分の名前を付けたかったカエサルが、以降の月をずらして、7月にJulyを挿入してしまったせいだ」というような内容ではなかったかと推測されます。
加えてカエサルの息子であるアウグストゥスまでもが、8月に自分の月を入れてしまったため、以降の月が2つずれることになったのだと。

で、これは間違いです。

しかし、2か月ずれの原因がこれだという説は、あまり聞いたことがありません。
よく聞くのは別の逸話で、「本来、大の月(31日)と小の月(30日)は交互に並んでいたが、アウグストゥスが、自分の月である8月が小の月なのを嫌って、2月から1日奪って31日にしてしまったため、2月は日数が少ないのだ」というものです。

先に言っておきますと、この逸話も間違いです。
そもそも、この逸話が正しいとしても、2月はアウグストゥスが変える前は29日だったはずで、やはり他の小の月に1日足りません。

じゃあ、何が正しいんだ? というお話をします。

ロムルス

現代の暦へと至る歴史は、紀元前753年、ローマ建国の祖、ロムルス王が定めた「ロムルス歴」に始まるとされています。
余談ですが、「ローマ」という名前はロムルス王にちなむものですね。
このくらい昔になると、歴史と神話の境界が曖昧になってきます。
日本では縄文時代末期ですね。

このロムルス歴、こういうものでした。

名前 読み 由来 日数
1月 Martius マルティウス ローマ神話軍神マルス」から 31日
2月 Aprilis アプリリス ギリシャ神話の愛と春の神「アフロディーテ」から 30日
3月 Maius マイウス ローマ神話の豊穣神「マイア」から 31日
4月 Junius ユニウス ローマ神話の女性の結婚の守護神「ジュノー(ユノ)」から 30日
5月 Quintilis クインティリス ラテン語で5を意味する「Quinque」から 31日
6月 Sextilis セクスティリス ラテン語で6を意味する「Sex」から 30日
7月 September セプテンベル ラテン語で7を意味する「Sept」から 30日
8月 October オクトーベル ラテン語で8を意味する「Octo」から 31日
9月 November ノウェンベル ラテン語で9を意味する「Novem」から 30日
10月 December デケンベル ラテン語で10を意味する「Decem」から 30日
合計 304日

…はい! いきなり謎が解けましたね。
当時、一年は、今で言う3月から始まっていたわけです。
これは、当時の主な産業が農業であり、農作物が育たない冬の間は、日付というものが必要なかったためではないかと言われています。

この頃、一年の始まりとは、農業の始まりと同時に、政治、軍事の始まりでもありました。
寒さの厳しい冬には軍隊の行進も困難で、物資も少なかったことでしょうから、戦争も春になってから始めたのではないでしょうか。
一年の始まりの月に軍神の名前が付けられているのは、そういう理由もあったのかもしれません。

ロムルス歴が太陽暦だったのか太陰暦だったのかはよくわかりません。
古い暦は、太陽よりも月の方が観測が容易なためでしょう、だいたい太陰暦なのですが、ロムルス歴は一か月が30日と31日からなり、太陰暦としては不自然な印象を受けます。

September ~ December は、この頃から綴りは変わっていませんね。
ただし、当時はラテン語読みなので、発音は現代とは異なります。

ヌマ歴

1年を通した暦がないとやはり不便だということで、紀元前713年、2代目ローマ王ヌマ・ポンピリウスによって改暦が行われ、「ヌマ歴」が始まります。
これは、1年の始まりはそのまま、冬の間の2か月もちゃんと埋めようとしたものでした。
かくして、暦はこうなります。

名前 読み 由来 日数
1月 Martius マルティウス ローマ神話軍神マルス」から 31日
2月 Aprilis アプリリス ギリシャ神話の愛と春の神「アフロディーテ」から 29日
3月 Maius マイウス ローマ神話の豊穣神「マイア」から 31日
4月 Junius ユニウス ローマ神話の女性の結婚の守護神「ジュノー(ユノ)」から 29日
5月 Quintilis クインティリス ラテン語で5を意味する「Quinque」から 31日
6月 Sextilis セクスティリス ラテン語で6を意味する「Sex」から 29日
7月 September セプテンベル ラテン語で7を意味する「Sept」から 29日
8月 October オクトーベル ラテン語で8を意味する「Octo」から 31日
9月 November ノウェンベル ラテン語で9を意味する「Novem」から 29日
10月 December デケンベル ラテン語で10を意味する「Decem」から 29日
11月 Januarius ヤヌアリウス ローマ神話の門や入り口の神「ヤヌス」から 29日
12月 Februarius フェブルアリウス ローマ神話の慰霊の神「フェブルウス」から 28日
合計 355日

これは月の満ち欠けを一か月の基準とする太陰暦であっただろうと思われます。
太陰暦での1年は354日ですが、ヌマ歴は355日あります。また、ほとんどの日が31日と29日です。これは、ヌマ王が信仰上の理由から、偶数を嫌ったためではないかと考えられています。
355日しかないと、太陽暦の一年との間にずれが生じるため、長期的にみると、暦の日付と季節がどんどんずれていってしまいます。そのため、2年に一度、Februariusを23日間に短縮し、その後に27日または28日の閏月が設けられていたようです。
このように、太陰暦をベースとしつつ、閏を導入することで太陽年とのずれを補正する方式を、太陰暦太陽暦のハイブリッドで「太陰太陽暦」といいます。

注目すべきは12月、Februariusです。この時点で、この月だけは例外的に28日なのです。
おそらく、一年の最後の月であったためでしょう。これ以降、Februariusはずっと28日のままです。

末期ローマ歴

その後も数度の改暦が行われましたが、紀元前153年に、とりわけ大規模な変更がありました。

ローマは紀元前509年に王制を廃止して共和制に移行していました。
共和制ローマ国家元首にあたるのは、選挙によって国民から選ばれた執政官(任期は1年)ですが、紀元前153年の執政官は、従来より2か月早く選出されています。
属州のヒスパニアで反乱(ヌマンティア戦争)があったため、冬のさなかに急遽、新年の軍事を始める必要があったのではないかとされています。

こうして、Januariusが一年の始まり、1月になり、September ~ December は、名前の由来から2か月ずれることとなったのです。

名前 読み 由来 日数
1月 Januarius ヤヌアリウス ローマ神話の門や入り口の神「ヤヌス」から 29日
2月 Februarius フェブルアリウス ローマ神話の慰霊の神「フェブルウス」から 28日
3月 Martius マルティウス ローマ神話軍神マルス」から 31日
4月 Aprilis アプリリス ギリシャ神話の愛と春の神「アフロディーテ」から 29日
5月 Maius マイウス ローマ神話の豊穣神「マイア」から 31日
6月 Junius ユニウス ローマ神話の女性の結婚の守護神「ジュノー(ユノ)」から 29日
7月 Quintilis クインティリス ラテン語で5を意味する「Quinque」から 31日
8月 Sextilis セクスティリス ラテン語で6を意味する「Sex」から 29日
9月 September セプテンベル ラテン語で7を意味する「Sept」から 29日
10月 October オクトーベル ラテン語で8を意味する「Octo」から 31日
11月 November ノウェンベル ラテン語で9を意味する「Novem」から 29日
12月 December デケンベル ラテン語で10を意味する「Decem」から 29日
合計 355日

一部では、1月の「Januarius」がローマ神話の門や入り口の神「ヤヌス」に由来することから、一年の入り口にあたる月としてこの名前を付けたと書かれている場合もありますが、既に見たように、Januariusという名前が付けられた頃、まだその月は11月でした。ですから、これも間違いだということになります。

また、逆に、その名前からJanuariusが一年の始まりに相応しいので2か月ずらしたという記述もありますが、2か月ずらすという大改暦の理由としては、戦争という切羽詰まった理由の方がリアリティがあるように思います。

この末期ローマ歴は、紀元前46年まで使われました。
やはり355日しかありませんので、太陽年に合わせるため、2年に一度、2月23日と2月24日の間に22日または23日の閏日を入れていたようです。この間に入れるのは、ヌマ歴の2月が閏年には23日に短縮されたことを踏襲しています。
しかし、閏日の運用は軽視され、年によって入れたり入れなかったりしました。
そのため、暦の上の日付と実際の季節がどんどんずれてしまい、紀元前46年には90日ものずれを生じていたといいます。

ユリウス暦

紀元前45年、ユリウス・カエサルによってユリウス暦が作られました。
同時に、カエサルの誕生日である7月の月名を、Juliusと改めました。

さらに後の西暦8年、カエサルの養子である皇帝アウグストゥスが、8月をAugustusと改めました。
ただしこの時、月の日数の変更は行われていません。8月はユリウス暦の最初から31日ありました。

名前 読み 由来 日数
1月 Januarius ヤヌアリウス ローマ神話の門や入り口の神「ヤヌス」から 31日
2月 Februarius フェブルアリウス ローマ神話の慰霊の神「フェブルウス」から 28日
3月 Martius マルティウス ローマ神話軍神マルス」から 31日
4月 Aprilis アプリリス ギリシャ神話の愛と春の神「アフロディーテ」から 30日
5月 Maius マイウス ローマ神話の豊穣神「マイア」から 31日
6月 Junius ユニウス ローマ神話の女性の結婚の守護神「ジュノー(ユノ)」から 30日
7月 Julius ユリウス 古代ローマの政治家「ジュリアス・シーザーユリウス・カエサル)」から 31日
8月 Augustus アウグストゥス 古代ローマの初代皇帝「アウグストゥス」から 31日
9月 September セプテンベル ラテン語で7を意味する「Sept」から 30日
10月 October オクトーベル ラテン語で8を意味する「Octo」から 31日
11月 November ノウェンベル ラテン語で9を意味する「Novem」から 30日
12月 December デケンベル ラテン語で10を意味する「Decem」から 31日
合計 365日

ユリウス暦では太陽暦が採用され、一年は365日となりました。また、4年に一度、閏年が置かれました。
閏年には現代と同じく、2月28日の後に一日が挿入されました。
紀元前153年の改暦でJanuariusが1月となっていましたが、未だに文化的には、Februariusが年末として扱われていたため、一年の最後に追加したのだと思われます。

アウグストゥス亡き後、多くのローマ皇帝は、月に自分の名前を付けようとしました。
しかしこれは長続きせず、その皇帝の死後、程なく元に戻されてしまいました。
結局、カエサルアウグストゥスの名前だけが、現在も残されています。

イエス生誕紀元

現在の西暦がイエス・キリストの生誕年を元年としていることは広く知られていますが、これは6世紀に始まったものとされています。
つまり、イエス・キリストが生きていた時代から500年も後になってから推定、計算されたものであり、正確性には疑問符が付きます。
現在では、少なくともイエスは西暦1年には生まれておらず、紀元前4年より前に生まれていたと考えられています。

その制定の経緯から、イエス生誕紀元はいきなり532年から始まります。
この頃、キリスト教では、ローマ皇帝ディオクレティアヌスが行った大迫害によって多くの犠牲者を出したことを記念し、ディオクレティアヌスが即位した年(284年)をディオクレティアヌス元年としていました。
キリスト教の宗教行事の都合と、迫害者ディオクレティアヌス名を使うことを嫌ったローマ教皇ヨハネス一世の意向によって、ディオクレティアヌス248年がイエス生誕紀元532年と定められました。

ややこしいですね…。
イエス生誕紀元を1年とした場合のディオクレティアヌス元年が284年で、ディオクレティアヌス248年は284+248=532年です。
ディオクレティアヌス元年当時、イエス生誕紀元暦は影も形もありません。

グレゴリオ暦

時代は下って、西暦1582年、時のローマ・カトリック教皇グレゴリウス13世によって、グレゴリオ暦が作られました。
これが、現在使われている暦、いわゆる西暦です。

各月の日数はユリウス暦と変わりませんが、閏年のルールが異なります。
ユリウス暦では単に4年に1回としていましたが、それでは不正確であったため、ずれが重なり、16世紀末には10日ほどのずれが生じていました。
ユリウス暦が作られたときのように、季節との大きなずれは生じていませんでしたが(つまり、それだけユリウス暦が正確だったということです)、宗教行事的には許容できないずれでした。
そこで、閏年を置くルールを、400年に97回とするため、西暦が100で割り切れ、かつ、400では割り切れない年は平年とするという、現在と同じルールになったのです。

なお、Wikipediaグレゴリオ暦制定前の記事を見ると、西暦=ユリウス暦として書かれている場合が多くあります。
しかし、ユリウス暦は紀元前45年に作られていますので、ユリウス暦制定の年を元年とするならば、それは西暦との間に45年の開きがあるはずです。
ですから、西暦=ユリウス暦と書いてある場合、それはユリウス暦制定紀元ではなく、キリスト生誕期限の表記であり、単にグレゴリオ暦制定前の出来事であるということを表しているのではないかと思います。

各国での導入

グレゴリオ暦カトリックが決めたルールのため、プロテスタント東方正教会といった他のキリスト教を信仰する国では導入が遅れました。
正教会の大部分では、現在もグレゴリオ暦は使われておらず、ユリウス暦をそのまま使い続けていたり、「修正ユリウス暦」という独自の暦を使っていたりします(あくまで宗教行事用であり、それらを信仰する多くの国では、日常的にはグレゴリオ暦が使われています)。

ソビエト連邦などは1940年までグレゴリオ暦を採用しませんでした。
現在でもグレゴリオ暦を採用していない国や集団はあり、一例をあげると、

などが挙げられます。

また、元年だけが違うものの、実質的にグレゴリオ暦と同期した暦として、

などがあります。

日本での導入

日本に導入されたのは、1873年(明治6年)でした。
それまで日本は天保暦という独自の暦(太陰太陽暦)を採用していました。現在、旧暦と呼ばれるのは、この天保暦のことです。
グレゴリオ暦に合わせ、明治5年12月2日の次の日が明治6年1月1日とされました。

しかし、これが公布されたのは、施行まで1か月を切った11月9日のことだったため、世間に大混乱を巻き起こしました。
それほどまでに切り替えを急いだのは、当時、明治政府の財政状況が逼迫していたことが一因であるとされています。
当時、明治新政府維新の真っ最中。様々な改革に加えて、華族・士族への給付金や、戊辰戦争の戦費などもあり、とにかく新政府にはお金が足りませんでした。
新政府の官職は月給制に切り替わったばかりでしたが、明治6年は旧暦では閏年のため13か月ありました。
旧暦のまま行けば、明治6年は13か月分の給料を払わなければなりませんが、太陽暦に切り替えれば12か月で済みます。
しかも、明治5年12月は2日しかないため、実質的に、明治5年は11か月しかないことになり、2か月分の給料をカットすることができます(一か月前倒しになるだけですが、年間予算の都合とかあったんですかね)。
給与支給回数が減ったのなら、1回分の月給を13/12に増額しなければならないはず。それをしなかったということは…ブラックですね。

ただし、この明治6年の施行は混乱のさなかで行われたためか不備がありました。
閏年の置き方が、ユリウス暦と同じもの(4年に1回)になっていたのです。
そのため、1898年(明治31年)に改めて、正しいグレゴリオ暦に訂正しています。
この時の勅令(明治31年 勅令第90号)は、法的に閏年を定めたもので、現在も有効な法律ですが、これは前述した皇紀を基準として定められています。
具体的には、「皇紀が4で割り切れる年は閏年とする。ただし、皇紀から660を引いた数が100で割り切れ、かつ、400で割り切れない年は平年とする」とされています。
この訂正の2年後の1900年はまさに閏年の例外となる100年に一度の年であり、公布も訂正もギリギリという、なんとも慌ただしい改暦だったのです。

というわけで

林先生、見てる~? (AA略